大切な自分へ
今週のお題「大切な人へ」
大切な人は誰か?
と問われた際、自分の名前を挙げるほど、恥ずかしいことはあるか、いや野暮というべきか。
時に、なかなか大それたことができない自分にとって、己に対し、いかに孤独か知らしめる愚問と言っても過言ではない。
ただし、私にとってのこの愚問は、もしかしたら隣人にとって、ダイヤの原石となり、生きるうえで、貴重なモノサシになりうる。
モノサシの目盛りともいえる文言は次のとおりである。
《客観的》に自分を見つめなおすと、その見つめた先の自分は他人となり、さらに、その他人は客観的に見ている自分を見つめ返す。
そこで1つの命題について、考える。
《自己犠牲は他人への愛か?》
客観的に私を見ているもう1人の私をAとしよう。そして見られている私をBとしよう。
前提として、AとBは同じ自分であるが、別モノであり、AはBのゴーストといってもいい。
AはBに対して、嫌悪感を感じた時、それを《ストレス》と定義しよう。
AはBを可愛がる時、それは《自己愛》と定義しよう。
Aが自分を犠牲にしてまでBを大切にする時、それは《無償の愛》と定義しよう。
いかに、自分を犠牲にして、自分を守れるか。
いかに、自分を愛し、自分を大切にすることができるか。
自分を大切にできない人は、きっと他人を大切にできないだろう。
売春、自殺、暴力、虐待などの、
自分や他人に強いメッセージを伴う行為をする前に、自分Bに対し、
《大切な人へ》
というテーマを投げてみたら、世界の見え方は変わるかもしれない。