《意見》多様性について
個人の多様性を認める社会の弊害とは、
様々な思想や意見が、あふれ、乱れ、
自分の考えと少し異なると、必要以上に口撃する。
それはネット社会、匿名性の向上も起因すると想定されるが、平和ではない状況を作りだす。
自分自身と自分の考えを認めてほしいからだ。
ただ、その多様性を主張する自分を認めて欲しいという考えは、多様性を認める行為に対する矛盾とまではいかないものの、違和感を覚える。
多様性を認める社会は、個人と組織が法を侵さない限り、ただただ世界が面白くなりそうなので、賛成である。
しかしながら、結果、心穏やかに暮らせない多様性なんぞ、くそったれである。
多様性を認める社会を作りだすためには、同時並行で、カリスマ性をもつ人材の育成をしなければならない。
さまざまな個人の感情や意見を、まとめあげる人材がいなければ、多様性のある社会形成は失敗するだろう。
多様性を認めるが故に、様々な意見、考えがある訳で、
当然、森元首相の会議は長くなるだろう。
個人的には長い会議は嫌いではないが。