《処世術》有意義な時間の使い方①
人生には2つの時間がある。
給料が発生する働いている時間
給料が発生しない時間
仕事をしている時間
仕事をしていない時間
ここでいう、給料とは、仕事をしていない時間に投資することができる費用と位置付ける。
投資という表現は、仕事をしていない前提であることから、お金がお金でバックされることはないが、ストレス解消や休息、癒しなどで、フィードバックされることから、投資ともいえる。
仕事をしていない時間の使い方、それは大概、自分が楽になるための時間である。
楽になるとは、ダラダラすることも1つ、無駄に時間を浪費することも1つ、人それぞれ楽になる時間の使い方は違う。
楽になるためのツールである、エンターテイメントの奪い合いと化した今は、《仕事に生きる》ということ自体、古くさい考えなのかもしれない。
自己実現のため、何か成し遂げたいため、という理由や気運は減衰するのではなかろうか。
仕事以外の時間を充実させる。
つまり、
《仕事以外で生きる》
ことの気運が高まるだろう。
働く内容は、どうでも良くて、ただただ時給換算の給料が良いところ、
いや、良いところというか、仕事以外の時間にしたいことに基づいた給料さえ、あれば、どんな仕事だろうが、構わなくなるだろう。
次に楽な仕事をしたいと考える。
どうせなら楽な仕事で、それなりの給料をもらえれば、十分に仕事以外の時間を充実させることができる。
インターネットの料金さえ払えば、いくらでも楽で楽しいエンターテイメントを享受できる。
次に、《仕事をする》という定義において、緩やかにプライドという概念が消えていき、医者や教師などといった職業への敬意が消えていくだろう。
自分の、家族の、仕事をしていない時間さえ、楽しければ良いのだから。
衰退の閾値である時代は、まさに現代である。
話題のAIが台頭することで、仕事が減ることを危惧するのではなく、
人が、仕事に対してプライドがなくなること
を危惧するべきである。
危惧と書いたが、もしかしたら、心配すること自体がナンセンスなのかもしれない。
もはや《働いたら負け》という迷言が、名言となる時代も近い。
勤労の義務については、今後、積極的に議論され改正されうるだろう。