《家購入までの道程》①さぁ何から始めようか。
《時事ネタ》今後の世界の予定
コロナによる影響により、世界各国で、経済が疲弊する。
新型コロナウイルスの感染予防に係る対応が悪いという理由で、民主主義の各国家の政権またはトップがすり変わる。
中東や南米、アフリカなど、比較的、小さな戦争が勃発。
中国は軍事費を大幅に増加。
そういった状況が引き金になり、世界中で中国に対して、ヘイトがさらに高まる。
中国が、東南アジアの各国で領海侵犯を犯す。
東南アジア各国が、日本に中国の侵犯に対して協定を求め、日本はアメリカ、インドを巻きこみ、世界各国で連携を図ることになる。
中国は、その連携を批判すると同時に、日本の領海に対しても侵犯を繰り返す。
そんな中、日本が攻撃される前に、アメリカが安全保障を理由に、日本海で中国の艦隊を空爆。
中国は北朝鮮と共に、アメリカ、日本に対し開戦。韓国は北朝鮮に物資を供給していたが、中立を宣言。
インドは中国の領土に侵攻し、中国とインドにおいても開戦することになる。
東南アジアは、日本やインド、時にアメリカに物資を供給することになり、経済が潤い、急速に発展する。
一方、コロナの被害がどの国よりも甚大だったロシアは戦争を起こす体力すら残っていない。
結果、この戦争において、中国・北朝鮮と日本・アメリカ・インドは勝敗がつかず、ロシアが仲介役になる。
韓国は何故かロシアと同様に仲介役をかってでており、日本は、韓国が北朝鮮に物資を援助していた事実に対して目をつむることになる。
勝敗の付かない戦争は終結する。
中国においては、領土や領海侵犯をすることはなくなった。
とりあえずここまで。
面白いと思ってもらえたら、幸いです。下記の画像クリックよろしおねがいします。
《時々ネタ》青森県に新型コロナが発生しないわけ
3月14日現在、青森県において、新型コロナの感染者はいない。
全国都道府県に拡大するなか、なぜか?
ましてや、すぐ北には、緊急事態宣言を発した北海道があるにもかかわらずだ。
冷静に考えると、おそらく時間の問題である、つまり、いつかは感染者がでる。という
結論に達してしまう。
ただただ、地方の宿命ともいえるが、ヒトが流動していない、という理由でしかない。
もし仮に、感染者の確認が、今後もされなかったら、
私は、
とある青森市の神社で、新型コロナに対する特別祈祷を実施したからだ、
という、何も合理性のない理由に達してしまうだろう。
報道されたときは、神頼みなんて、と思ってしまったが。
誤解されないように、記載しておくと、筆者は、信仰もなければ、神も幽霊も信じていない。
うるう年の狂い方説明書
今週のお題「うるう年」
うるう年は《特別感》を感じさせる事件であって、月食・日食と同様に、親戚感?親近感?もわく。
同じ宇宙に関することとはいえ、月食・日食は自然現象、たとえば偶然水滴が落ち、一瞬を切り取ったミルククラウンのような、ただの出来事であることに対し、
うるう年は、数量調整であり、もし、この英知の結晶ともいえる調整がなければ、2/365=182.5つまり182.5年後には夏が冬となりえる。
だがしかし、ここで、1つの疑念が誕生した。
4年に一度、24時間増えるのであれば、、、
一年を365日と6時間にすればよいのでは。
いやいや6時間って日じゃない。と思う場合もあるに違いない。
6時間は60*6=360分
なので、360/365分を1日にたせば良いのだ。
むしろ、バッファーの時間として定義することもできたはずだ。
例えば1日の終わりに0時のあとに、今日でも明日でもない空白の時間を定めることだって
できたはずだ…
だがそれは合理性に欠けた。
白と黒のようにはっきりさせた。
時間のない時間など、それは、人間の思考にそぐわなかった。ヒトらしくなかった。
うるう年はヒトの合理性を追及した結果、たまたま誕生した、不合理な真実である。
だからこそ特別なのだ。
ヒトは正論、合理性を追及する種かもしれないが、4年に一度、事件が起きる。
合理性を追及しても、明確な答えをだしても、時に、狂いが生じる。
1+2=3であるが、
答えは、3000年後には4になっているかもしれない。
狂った事件である。
あとは、そう、どうして、うるう年が2月にあるのかも……
きっと合理的な理由があるのだろうな。
《処世術》有意義な時間の使い方②
仕事をしていない時間、何をしていますか。
と問われると、
だらだらと、楽なことばかりして、時間を浪費しています。
と私は自信をもって答える。
自分の時間の使い道ぐらい自分で決めるべきであるし、誰かに制約されるものではない。
有意義な時間の過ごし方とは?
《有意義》とは、自分で決めるものだし、例えば座禅や瞑想といった行為は、生産的なものではない一面もあるが、それ自体が、有意義ではないと決めるわけにもいかない。
仕事や労働以外の時間は、誰にも束縛されないし、自由な充実といえる。
自由な充実は時に、無駄な行為といえる時間として、費やされるかも知れないが、
それも生き方の1つであり、だれも文句を言う権利はない。
《処世術》有意義な時間の使い方①
人生には2つの時間がある。
給料が発生する働いている時間
給料が発生しない時間
仕事をしている時間
仕事をしていない時間
ここでいう、給料とは、仕事をしていない時間に投資することができる費用と位置付ける。
投資という表現は、仕事をしていない前提であることから、お金がお金でバックされることはないが、ストレス解消や休息、癒しなどで、フィードバックされることから、投資ともいえる。
仕事をしていない時間の使い方、それは大概、自分が楽になるための時間である。
楽になるとは、ダラダラすることも1つ、無駄に時間を浪費することも1つ、人それぞれ楽になる時間の使い方は違う。
楽になるためのツールである、エンターテイメントの奪い合いと化した今は、《仕事に生きる》ということ自体、古くさい考えなのかもしれない。
自己実現のため、何か成し遂げたいため、という理由や気運は減衰するのではなかろうか。
仕事以外の時間を充実させる。
つまり、
《仕事以外で生きる》
ことの気運が高まるだろう。
働く内容は、どうでも良くて、ただただ時給換算の給料が良いところ、
いや、良いところというか、仕事以外の時間にしたいことに基づいた給料さえ、あれば、どんな仕事だろうが、構わなくなるだろう。
次に楽な仕事をしたいと考える。
どうせなら楽な仕事で、それなりの給料をもらえれば、十分に仕事以外の時間を充実させることができる。
インターネットの料金さえ払えば、いくらでも楽で楽しいエンターテイメントを享受できる。
次に、《仕事をする》という定義において、緩やかにプライドという概念が消えていき、医者や教師などといった職業への敬意が消えていくだろう。
自分の、家族の、仕事をしていない時間さえ、楽しければ良いのだから。
衰退の閾値である時代は、まさに現代である。
話題のAIが台頭することで、仕事が減ることを危惧するのではなく、
人が、仕事に対してプライドがなくなること
を危惧するべきである。
危惧と書いたが、もしかしたら、心配すること自体がナンセンスなのかもしれない。
もはや《働いたら負け》という迷言が、名言となる時代も近い。
勤労の義務については、今後、積極的に議論され改正されうるだろう。
《処世術》無能とは
なぜなら、無能は自分が無能だと気づいていないからだ。
無能に対する処世術、誰か教えてください。
- 作者:ロバート・B・チャルディーニ
- 出版社/メーカー: 誠信書房
- 発売日: 2014/07/10
- メディア: 単行本